【擁護派?】それでも小山田圭吾の辞任を残念に思う理由
2021/07/22
メタファイブ(METAFIVE)の小山田圭吾氏が、東京オリンピック・パラリンピック開会式の作曲担当を、オリンピック開会式直前で辞任に追い込まれました。
小山田圭吾氏は小中高一貫校・和光学園の生徒であった頃、知的障がいのある同級生に対して、長年に渡り拷問を行って楽しんでいました。この件が炎上したことが原因でした。
かたち上は本人が「辞任した」形ですが、「辞任させられた」がおそらく正しいでしょう。本人は、炎上後も当初は辞める気はさらさらない様子でした。火消しに失敗して炎上を止められず、辞任せざるをえなくなったというのが自然な見方かと思います。
近くの養護学校の高校生たちのこと
以前別の記事でも書きましたが、私の生活圏には養護学校があります。出勤のため最寄り駅に向かう途中、よく登校中の生徒さんたちを見かけます。皆さん、高校生だと思います。
男子はパリッとしたスラックスを着用し、清潔な白いシャツにネクタイを締め、ブレザーを颯爽と羽織っています。
女子は清楚にスカートを着用し、白いブラウスの第一ボタンまできちんと留めているのが可愛らしく、そして大人っぽくブレザーを着用です。
男女ともに、成長と、青春の爽やかさと、社会人への歩みを感じさせてくれます。
誰一人、保護者に付き添われることなく、駅のホームから学校まで、凛として一人で登校です。
付き添いたい気持ちを堪えてお子さんを送り出しておられる親御さんも、立派だと思います。
生徒たちの親御さんにとっては、このような我が子の姿は、我が子が筑駒や開成高校に通学している以上の快挙に見えているのではないかと想像します。親以外は誰も気づかない奇跡なのだろうなと思います。障がいのある子どもは、保護者にとっては、保護者だけの、マイホームヒーローに違いありません。
小山田圭吾は一生をかけて償ってほしい
そんな知的障がいのある同級生を奴隷化し、拷問を続けて楽しんでいた小山田圭吾氏です。その行為を、30台も見えてきた、いいかげん分別盛の時期に、雑誌のインタビューで楽しげに自慢げに語っていたことで、激しく炎上しています。
これまでに何度も炎上していながら、氏が謝罪するのは今回が初めてのようです。謝罪と言ってもツイッターでの「言い逃げ」ですので、実に軽い謝罪ですが。オリンピック開会式作曲担当の地位が危うくなったために、慌てて火消しを行おうとした、すぐ火消しできると甘く考えていた、というところでしょう。
謝罪は当然、辞任も当然だと思いますし、これでハイ手打ち、としてよいレベルの行為ではないと思います。氏は、小学校の卒業文集でその同級生に拷問行為をチクられ、その後「小学生人生の全てをかけて復讐してやった」と語っています。今後は、「人生の全てをかけて」目に見える償いを行っていってほしいと思います。
こんな薄っぺらい謝罪を簡単に受け入れる人物の一人に、茂木健一郎氏がいます。
彼はいつも、知り合いでもないのにやたら芸能人に向かってツイートしますね。だいたい擁護。芸能人と友達になりたいという一心、芸能人に対する憧れが根底にあるのかと、いつも思っています。
「これで小山田くんと友達になった」と思っているのでしょうか。これまで友だち?になれたのは、ヒロユキ氏くらいにみえますが…。小山田圭吾氏からDMでも来ているといいですね。
※2021年7月22日現在、今度はオリンピック・パラリンピック開会式演出を解任された、芸人「小林賢太郎」氏とお友達になりたがっているご様子…。
それでも小山田圭吾の辞任は残念だと思う理由
炎上→留任→更に炎上→辞任、あっというまでした。あっというまの辞任で残念です。
小山田圭吾氏には、過呼吸になりそうなくらいの憤りをずっと感じている私ですが、それでも氏の辞任は早すぎたと思いますし、残念だと思っています。
氏がこのまま留任していれば、人権に高い価値を置く欧米諸国のオリンピック選手の中から、オリンピック・パラリンピック開会式を出席拒否する選手が必ず出ていたと信じています。
しかし私は、欧米の選手ではなく、誰よりも日本のオリンピック選手たちが、パラリンピック選手たちが立ち上がり、声を上げ、差別主義者が作曲を手がけた開会式への出席を断固として拒否する姿を見たかったです。
また、大会ボランティアたちが、開会式を毅然としてボイコットする姿を見たかったです。
もっとも、そんな日本人選手・ボランティアは誰一人出ず、心から失望させられていた可能性もあります。いや多分そうなっていただろうなと、本当は心の中では思っています。私の心へのダメージを考えると、結局、開会式前の辞任でよかったのかもしれません。
いずれにせよ、私はオリンピック・パラリンピックの開会式をもう見ませんが…。
ちなみにオリンピック・パラリンピック選手の皆さんについては、心から応援しています。「やっちゃえ、日本!」
まとハズレな対応やコメントのまとめ
今回、的外れなコメントや対応を行っている著名人や団体が結構ありましたね。ちょっとまとめてみました。
お笑い「EXIT」の「りんたろー。」
「じゃあ、清廉潔白な人っていますか?って思っちゃう」
小山田圭吾氏は、清廉潔白ではなかったということが炎上しているわけではなく、稀に見る残虐行為を行っていたことが炎上しています。
「りんたろー。」は、「じゃあ、残虐じゃない人っていますか?」と問うべきでした。答えは「小山田圭吾氏のような残虐な人間は滅多にいません」、「他は、りんたろー。さん、あなたかもしれません」。
「そこから歩んできた27年とか40年の、この人の歩んできた道とか、後悔とか、成長とか、変化とかを全部なしにして、この行為だけをクローズアップして…。今を見ずに、過去の彼に対して石を投げるっていうのが正しいのかっていう疑問はありますね」
大勢の人が憤っているのは、小山田圭吾氏が30代も間近の分別盛りになってから過去の自身の非人道的行為を自慢げに語っている事、これまで何度も炎上しているのに紙ペラ一枚の謝罪すら行った形跡がない事に対してです。このコメントは「本人は悔い改めているはず」というまと外れな過程に立っている点で、ピントが全く合っていません。
お笑い「EXIT」の「兼近大樹」
「この声を上げてる人たちは何かをしてほしいというか…。1人ひとりが、何のために『この人は過去にこういうことをしていただろ!』って叫んでるのかを知りたいですね」
批判される側に寄りそい、憤っている人たちを侮り挑発する逆ギレ気味のコメントで、噴飯ものです。悲しみさえ感じます。
自分にも心当たりがあり、今から予防線を張って備えたな?と思わされるコメントのまとめ。
自分にも思い当たる火種があり、今から予防線を張りに来たな?と思わされるコメントもありました。
お笑い「爆笑問題」の「大田光」
「太田光」は「昔は爆笑問題も、今だったら炎上しかねないネタをやっていたこともある」といった趣旨の発言をした上で、続けて次のように話しています。
「その時代の価値観と今の時代の価値観がある。その時代の価値観を知りながら評価しないとなかなか難しい」
なんかあるのかな?と思いますね。これはおそらく、自身が過去に行った厄介なネタか何かが念頭にあり、古いビデオやライブを観た観客の証言などから掘り起こされる可能性を想定しての発言ではないかと思います。
小山田圭吾氏ではなく、自分自身を擁護しているように聞こえます。「時代の価値観」のせいにして…。
「ふかわりょう」
「この報道で、自分と重ねる部分がありまして。(中略)。笑いの中でもテレビの中の笑い、いわゆるバラエティーの笑いを生む構造っていうのがいじめの構造と近いところにあるんですね。(中略)。私自身もその、ややもするといじめの構造の恩恵を受けながら私はお金を得て、(中略)。もちろん、それが笑いというものにもしかしたら誤魔化されていたのかもしれないですけど、ある種の魔法にかかっていたのかもしれないですけど」
「ふかわりょう」は「小心者克服講座」というリズムネタ?でブレークした芸人ですね。あのネタは本当に、人の心を傷つける言葉のオンパレードでした。
「この報道で、自分と重ねる部分がありまして」とは、自分の「小心者克服講座」のネタと重ねて、小山田圭吾氏ではなく、自分を擁護しているのだと思いました。「テレビの構造」のせいにして…。
一番嫌いだったのは、「お前、その服どこで買ってるの?」というフレーズでした。服がダサい点をついて友人の心をえぐり取る必殺のフレーズとして、「小心者克服講座」の先生が生徒に教えるというフォーマットで繰り出される、精神攻撃フレーズの一つです。
私は「小心者克服講座」は「イジメ技術講座」だと思ってきましたし、「ふかわりょう」はデビューから26年になるそうですが、当時からずっと嫌悪感しかありません。
ずるいな、と思う対応のまとめ。
ずるいな、と思う対応もありました。
メタファイブ(METAFIVE)のライブ中止
小山田圭吾氏がオリンピック・パラリンピック開会式作曲担当を辞任した直後に、氏が所属するメタファイブ(METAFIVE)がライブの中止を発表。
理由は新型コロナだそうですが、このタイミングでは小山田圭吾問題が原因としか思得ませんし、セコい対応だと思います。
なんで沈黙かな、と思う対応もありました。
和光学園
学園webサイトを見てみても、今回の件については沈黙ですね。
和光学園が掲げる「インクルーシブ教育」の中で起きたケース、という見方をされる可能性もあると思います。何らかのコメントを発表するべきではないでしょうか。
「いじめ」という言葉をこのようなケースに使うのは、もうやめにしませんか
「いじめ」は、子どもなら誰でもやりがちな、他愛のない行為のニュアンスを人に与える言葉だと思います。小山田圭吾氏のケースには、全く不適切で的外れな言葉だと思います。氏の行為を矮小化し打ち消す効果があり、不適切だと思います。
どうしても「いじめ」という表現にするのなら、最低限、以下の表現にしてほしいと思います。
「凄惨いじめ」
「壮絶いじめ」
「差別いじめ」
以下の表現が頭に浮かびましたが、もっと適切な、これだ!という表現が今後見つかり(あるいは作り出され)、普及してほしいです。もちろん、こうした行為自体がなくなってくれるのがベストですが。
「トーチャー(Torture)」
「拷問」
「学校内拷問」
「学園内拷問」
「蹂躙」
今回のケースについての、感銘を受けた記事を2件ご紹介しておきます。お時間あればこちらもお読みになってみてください。