古代日本は関東から始まったとする田中英道氏の「日本国史」
2023/04/15
田中英道氏の「日本国史」を読みました。氏は東大文学部を卒業後ストラスブール大学で博士号を取得した文学博士で、東北大学名誉教授です。フランス・イタリア美術史研究の第一人者といわれているそうです。
そのような著者による「日本国史」は、一般の日本史書とは少し異なり、主に文化史・芸術史・教育史が中心となっています。そのような研究を主とされている背景からなのか、氏は少し自由な発想の、ユニークな面白い日本史の知識・見解をこの本に散りばめておられます。
以下、面白いなぁと思った事項のメモです。
- アフリカで誕生した人類は、太陽を崇め太陽の昇る東へと移動を続けた。
- そうして日本に辿り着き、本州の東端である関東に定住したのが縄文人であり日本人の起源である。
- さらに東を目指し、北海道とアリューシャン列島を伝って北米大陸に到達し、遂には南米大陸にまで到達した人々もいた。
- 近年、北米や南米でも縄文遺跡が発見されている。
- シアトルでは縄文人の人骨が発掘されている。
- オレゴン州でも遺跡から縄文人のDNAが検出されている。
- 南米エクアドルでも日本と同じ縄文土器が発見されている。
- 日本という国はまず関東で始まった。
- 縄文遺跡は関東・東北でしか発見されていない。
- 国家は、鹿島神宮・香取神宮を中心とする地域に成立した。
- 香取の語源は鹿取。つまり鹿島神宮と鹿取神宮である。
- 「鹿」は狩猟対象、「鹿島」は鹿がたくさんいる島、「取」は狩猟行為を表す。
- 「鹿」も「取」も狩猟民族と関わりの深い語である。
- 神道は縄文時代に端を発する。
- 縄文時代の火焔型土器の火焔は、実際には水を象ったものであり火を象ったものではない。
- 縄文時代の土器の縄目は、神社や御神木を注連縄で巻くのと同じ発想。
- 縄はそのの内側が清らかで神聖であることを意味しており、大切な食べ物をケガレから守ろうする気持ちの現れ。
- 弥生式土器にはこのような模様はなく、神道的な発想が無いことがわかる(大陸的)。
- 関東人が西日本を制圧し、国家の中心が西日本に移った。
- 関東人による西日本制圧は、関東の中心地鹿島から鹿児島への海上移動で始まった。
- 鹿島→鹿児島。アヅマ→サツマ。いずれも関東が語源となっている。
- 隼人・熊襲は関東・東北からの移住者の子孫である。
- 魏志倭人伝は想像で描かれたファンタジー。中華思想に基づき、周辺地域を野蛮で劣ったものとして描いた。
- 邪悪な国「邪馬台国」に卑しい女王「卑弥呼」が「鬼道」を用いて「衆を惑わし」国を収めているとした。
- 古代の日本人も「魏志倭人伝」を知っていたことが日本書紀からわかるが、ほぼ無視している。というより問題にしていない。当時からトンデモ本の扱いだった。
- 仁徳天皇陵は世界最大の墳墓である。
- 法隆寺は火災で消失し白鳳時代に再建されたものではない。聖徳太子が建てた当時から今日まで残っている世界最古の木造建築物である。
- 国民の肉食禁止を定めた天武天皇と日本書紀。これにより牧畜が禁止され、山や森が守られ今日の緑多い日本に繋がった(牧畜には山や森を切り開いた広大な牧草地が必要となる)。
- 伊勢神宮の式年遷宮、正月、三月三日や五月五日の節句の行事は、天武天皇が始めた。
- 元寇を打ち破り、世界に知られるようになった日本。
- コロンブスはユダヤ人であった。イベリア半島からイスラム勢力が追い出されたとき、イスラム勢力と共生していたユダヤ人も追い出された。スペインから追い出されたことがコロンブスの航海の背景である。
- コロンブスの航海の目的は、黄金の国ジパングの金銀であった。
- コロンブスのアメリカの発見はただのついでである。
- 1494年にスペイン・ポルトガル間で結ばれたトルデシリャス条約で、日本はポルトガル領と定められた。最初に日本にやってきたのがポルトガル人だったのはこのためである。
- イエズス会は祭壇に銃を置いている布教軍団であった。
- ルイス・フロイスが逐一送ってくる情報を元に、スペインのイエズス会本部では日本を以下に侵略するかが話し合われていた。
- 日本は金銀の資源大国で、戦国時代の世界地図には石見銀山が記されているほどであった。
- 日本人はスペイン・ポルトガル人が侵略であることを見抜いていたので、彼らを南蛮人と呼んだ。
- 信長が天下統一を急いだ背景には、スペイン・ポルトガルの侵略に対する危機感があった。
- 信長の天下統一が進んだのも、強力なリーダーの元で日本人がまとまらなければという意識が周囲にあったため。
- 信長が宣教師に好意的であったのは、彼らの技術を早急に学び取り日本の植民地化を防ぐためであった。このため、織田信長がキリスト教徒になることはなかった。
- 秀吉はイエズス会が長崎で土地を奪い、神社仏閣を燃やし、日本人を奴隷として売買していると聞き、バテレン追放令を出した。日本人奴隷は主にインドのゴアなどに輸出されていた。
- 秀吉の朝鮮出兵は、フィリピンがスペインの植民地になったことに対する危機感が背景にあった。アジアをスペイン・ポルトガルの侵略から守る必要があると考えた。
- このため明に派兵しようとし朝鮮に道案内を頼んだが、断わられて武力行使に及んだ。
- 江戸時代に通商先としてオランダが選ばれたのは、慶長遣欧使節団が欧州でイギリスとオランダの台頭とスペイン・ポルトガルの相対的没落を把握していたから。また使節団が帰途マニラでスペインがオランダに敗北するのを目撃したことも大きい。
- 参勤交代は中央と地方を密接に関係づけることを目的としていた。
- 江戸時代の女性の教養は高く、江戸の寺子屋の先生の3人に一人は女性教師であった。
- 農民の副業は課税されなかったので、幕末の頃の農民が収める年貢率は、だいたい収入の一割程度、多くて三割程度であった。
- 年貢は主にインフラ整備、具体的は河川の堤防の構築、道路整備、港湾施設などにあてられた。
- 「切り捨て御免」は江戸中期には不可能となっていた。武士の側に非があれば武士が奉行所で処分された。
- 百姓一揆は暴動ではなく、農民たちが正当な要求を藩主に突きつける運動であった。事情やいきさつは詳しく調べられ、為政者側の責任者は罷免などの処罰を受けることが多かった。一揆を起こした側はだいたい無罪放免となった。
- 写楽は葛飾北斎が10ヶ月だけ名前を変えた画家である。
- 1863年の薩英戦争では、死者・負傷者はイギリス側の方が多かった。この戦争でイギリスは日本を警戒するようになり、簡単には侵略できないと感じた。
- 下関戦争で英・仏・蘭・米の四カ国連合が下関を攻略した際、イギリスが和平に動いたのは、薩英戦争の記憶が背景にあった。日本と全面戦争を行うタイミングではないと考えていた。
- 勝海舟と西郷隆盛による江戸無血開城は、四カ国の介入と日本占領を招くこと恐れがあると二人が考えていたから。
- 日本最初の漫画雑誌は、イギリス人画家ワーグマンが創刊した。
- 岩倉使節団には少女たちも混じっていた。津田梅子(8歳)、永井茂子(9歳)、上田梯子(16歳)。彼女たちはアメリカに留学生として送られた。
- 日露戦争の勝利はアラブ諸国にも反響があった。エジプトでは「昇る太陽」、イランでは「天皇の書」が出版された。トルコでも多数の書籍が発行され、トルコ革命の発端となった。
- リットン調査団の報告書は、満州国建国の背景に日本の安全と権益が脅かされている事実があることに対して理解を示している。
- リットン調査団は満州国の国際管理を日本に勧告した。
- 支那事変(日中戦争)では、アメリカは中立の立場をとった。
- アメリカが認めなかったのは、大東亜共栄圏構想という広域経済ブロック構想である。
- ルーズベルト大統領はソ連に好意的であった。
- ニューディール政策は社会主義政策である。
- 日本から戦争を仕掛けさせるための工作を行ったのが、アメリカのスパイ組織OSS。
- アメリカ国民には、アメリカが日本にハル・ノートを突きつけて日本を追い詰めたことは知らされていなかった。このため真珠湾攻撃の際、アメリカ人には日本が一方的に卑怯なことをしたとしか映らなかった。
- ハル・ノートを書いたのは、ソ連のスパイであったハリー・ホワイト。
おしまい。